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FUKUSHIMA、その後 —10年後の楢葉町

2011年3月11日金曜日、14時46分。私は茅場町にあったオフィスで打ち合わせにやってくるはずのキュレーターを待っていた。

あの揺れ。その後のあれやこれや。一部始終を今でもよく覚えている。

 この年の暮れ、写真集『FUKUSHIMA 福島県双葉郡楢葉町 1998-2006』を刊行した。本書は市川勝弘さんの4冊目の写真集で、妻の実家の日常の記録として断続的に撮影し続けられていた写真を編んだものである。

その実家は福島県双葉郡楢葉町上繁岡にある、代々続く農家だった。市川さんは夏休みなどに家族と一緒に帰省し、周辺の田圃や畑の季節の移り変わりを、プラウベルマキナというクラシックなカメラで撮影した。

このカメラは、ハンディタイプの蛇腹カメラで、もとはドイツのフランクフルトにあるカメラメーカー、プラウベルが製造していたものだ。1975年に 「カメラのドイ」の社長が買収し、以後は日本製のプラウベルマキナが開発・製造された。

プラウベルマキナの蛇腹はコンパクトだ。レンズを折りたたんで収納でき、軽くて持ち運びに便利という利点がある。それゆえ旅行や山岳登山の携行に負担が少なく、活動的な写真家やカメラ愛好家の間で今なお不動の人気を誇る。もちろん福島に里帰りする市川さんにとってもプラウベルマキナはうってつけのカメラだったにちがいない。さらにそのレンズは交換ができないため、撮影したい対象を見つけたときには自分の足でそこに近づき撮影せざるを得なくなる。かくして自分の身体の一部となったカメラからは、日常の瞬間や風景をより身近で親密なものとして捉える写真が生まれた。

市川さんが、プラウベルマキナを携えて、田園地帯の真ん中にある義理のご両親の家やその周りを撮影したのも自然な流れだったのだろう。

プラウベルマキナにはニコンの純正レンズ「ニッコール」が採用されている。このレンズは対象を客観的に記録することが得意だ。風が吹く、鳥が飛び立つ、草花が揺れるといった風景を正確に捉えるとされるニッコールレンズ。このレンズを通して市川さんが捕らえたかったのは、田園風景のなかに生きる親戚家族のありふれた、しかし充実した日々だった。日本の農村の春夏秋冬は毎年まいとし、ほとんど同じことの繰り返しだが、その折々に稲の苗が揺れ、稲穂が揺れ、人が笑い合う瞬間をプラウベルマキナで撮影するというのは、かけがえのない日々を正確にかつ永遠にとどめておきたいという願いの表れでもある。なぜなら、それは決して忘れたくない幸せの記録だから。

 しかし、2011年3月11日、その日々は強制的に終わることになる。

実家のある地域は福島第一原子力発電所の20キロ圏内にあり、メルトダウンによって警戒区域(立ち入り禁止区域)になったからだ。

まもなく実家に暮らしていた市川さんの親戚は西東京、さらにはいわき市で避難生活を送ることになる。同じ頃、私はグラフィックデザイナーの永井裕明さんの紹介で、市川さんが震災前に撮影し自ら現像したくだんの写真を見せていただいたことが契機となって、本書の刊行を決意していた。写真集としては地味かもしれないけれど、プラウベルマキナが切り取った67判の横位置の風景から立ちあがってくる柔らかで優しくしっとりとした質感はほら、見ているだけでウルウルとしてくるじゃないか。フクシマの二度と戻らない平凡な風景を記録として残すことは、原発事故に対して無力なパブリッシャーである私ができる精一杯のリベンジだった。

 今年は東日本大震災から10年がたった節目の年となる。

実は市川さんはその後も、楢葉町の実家に行く機会がある度に撮影を続けていた。それらの中から、震災前にプラウベルマキナで撮影した場所に立ち、2012年から約10年にわたり定点観測的にデジタルカメラで撮影されたものをいくつか紹介しよう。

 

 

写真集『FUKUSHIMA』より:プラウベルマキナで撮影。家と田んぼを隔てる農道に立ち、田んぼを望んだ風景

 

2012年9月1日:家族が東京からいわき市の仮設住宅に移り、立ち入りが許されることになった日に家の様子を見に戻った際に撮影。人がいなくなった田園地帯は放置によって雑草が生え荒れていた

 


2013年3月31日:田畑の除染作業が始まっていた。畑の上層部の汚染土を剥がしたあと、汚染されていない土が表面に現れた。剥がした汚染度は黒いビニール袋に詰め、集積所に運ばれた

 


2015年8月24日:この年の9月5日、楢葉町に出されていた避難指示が解除になる。兄夫婦は2人で家にもどるべく準備を始めていた。

 


2016年8月14日:義兄がはじめた試験的な稲作

 


2017年9月2日:震災前にはなかった、新しい建物が遠くに建設されつつあった。原発事故による汚染で使い物にならなくなった土地が安値で売りに出されたのだろう。先祖代々の土地を手放す地主たちは断腸の思いだったのではないか

 


2019年9月28日:建物は完成し、稲は実り‥
 

 

写真集に登場する市川さんの義母は、最後は楢葉町の施設で永眠された。

義兄夫婦は震災前に改築した楢葉町の家で暮らしている。牛舎をなくし、畑をつくり、庭の様子も変わったが、稲作のほかにも新しい野菜や果物を植え、畑仕事を続けているという。楢葉町で栽培されている米は、2016年に放射性物質の検査結果が基準値を下回り、出荷制限が解除された。

大震災と原子力発電所の事故後の10年間に撮影されたこれらの風景。

季節の移り変わりと自然の営みは変わらず、そこに暮らす人は、日常を取り戻すためにこつこつと努力を重ねていることが伝わってくる。

しかし、これらの写真にはかつてプラウベルマキナが捉えた優しく穏やかな光の喜びがうかがえない。同じ場所とは思えないほど殺風景にみえる。写真からはこの10年で元に戻ったように見えるが、それはうわべの世界にすぎない。撮るべきものなどないとでもいいたげなこの10年のドキュメントは、失われたものがあまりにも大きいことを物語っている。

1998年から2006年にかけて撮影された、二度と戻らないあの風景、あの日常。

もはや私たちは写真集の中でしかあの景色をみることができない。

震災が起こるまでそんなこと想像すらしなかった。

写真集をまだ見たことがないならば、ぜひ見てほしい。泣けてくるほど美しいから。(詳細はこちら→)

 

【本稿制作クレジット】写真:市川勝弘 構成・編集:中山真理

 

 

以下は市川さんによる関連イベントのお知らせです

 【2021.3.11スマイルプロジェクト】

「スマイルプロジェクト」は、「福島スマイルプロジェクト」「東北スマイルプロジェクト」と銘を打ち、写真家・市川勝弘が東日本大震災以降、ライフワークとして各地で続けてきた活動です。

デパートや公園、空港などの一角に特設写真館をつくり、市川が市民の笑顔の写真を撮影し、その場で印刷。被写体本人はその写真にメッセージを書いて展示して、震災で傷ついた人たちにエールを送るというもの。これまでに撮りためた写真は、1,000枚を超えます。

そして、震災から10年となる20213月、私たちはいま、「会いたいひとに、なかなか会えない」状況下にいます。10年の節目だからこそ、訪れたい場所も会いたいひとも存在するにもかかわらず……

だから、今回の「スマイルプロジェクト」では、いまはなかなか会えないけれど、会いたいひとに、あなたの写真とメッセージを届けることにしました。

参加方法は簡単、下記の通りです。みなさまのご参加をお待ちしております。

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【まずはあなたの写真を送りたい方をイメージし、送り先住所をご用意してきてください】

1)写真家・市川勝弘がスタジオセットを組んであなたを撮影します。

2)撮った写真はその場でハガキにプリント。

3)ハガキにメッセージ&送り先住所を書いて、スタッフに預けてください。後日、事務局より発送いたします。

4)ご自身用にも、撮った写真をその場でプレゼントいたします。

5)ハガキの写真&メッセージは、その場で展示いたします。

(メッセージは「非公開設定」も可能。後日、どこかで展示をする可能性もありますので、写真については公開前提でお願いいたします。)

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開催日時

2021311日(木)・12日(金)13001900 

2021313日(土)13001800

会場

she-Bop terrace(イタリアン・レストラン) 

東京都大田区蒲田5-28-8 she-Bopビル6

http://shebop-terrace.com/

TEL03-5480-5301

会場となるレストランは、ビルの屋上にあります。広々とした屋外テラス席と屋内空間になっており、また、当日はレストランを当プロジェクトで貸切りにしますので、「密」になりません。

参加費:無料(*撮影会場となるレストランで飲食をする場合は別途飲食代を頂戴します)

予約不要

 

主催:スマイルプロジェクト実行委員会